三方を海に囲まれた庵治町においては、古くから海からの恵みに感謝し、また海での安全を祈願するための神が少なからず祀られている。その崇敬される代表格が皇子神社である。
町内には承和七年(840年)に一郷一八幡として誉田天皇(ほんだのすめらのみこと)外三神を勧請した古社である桜八幡神社があるが、その境外摂社、つまり離れたところにある規模の大きめの付属の神社で、祭神は全国的にも珍しい宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)。応神天皇の皇子で仁徳天皇の異母弟にあたる古墳時代の人物で、仁徳天皇と皇位継承を譲り合ったとの伝説がある。誉田天皇と応神天皇は同一人物とされるので、納得の行く祭神である。
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神社の創建時期は定かではないが、元和六年(1620年)に再興され、天和元年(1681年)には、高松藩主松平頼重公の命により、江の浦海岸にあった社を背後の山(御殿山)の中腹に移転。社殿の大きさも昭和20年2月の改築で現在の規模になり、終戦後には個人の寄進により奉納相撲が営まれている。拝殿西側には当時の相撲番付が今も掲示され、そこには横綱双葉山関や大関佐賀ノ花関などの名前が見える。
また、名称もかつては"王子権現"と表記されていたようだが、いつの頃からか"皇子神社"に変わっている。愛称についても年配者の間では"ごんげんさん"が主流だが、最近は"おうじんさん"と呼ぶ人が増えている。
なお、拝殿の東側には金刀比羅神社が、また西側には神明神社(お伊勢さん)と長田神社(えびすさん)が置かれ、合わせて崇拝されている。映画ロケですっかり有名になった境内からは庵治の西海岸と脊梁の山々から五剣山、さらには湾を挟んで屋島が一望でき、自然の造形の妙味を満喫できる。
前置きが長くなったが、その神社の夏祭りが全国的にも数少ない船渡御(ふなとぎょ)で有名で、平成21年6月26日には香川県から無形民俗文化財にも指定されている。開催は旧暦6月14日・15日に近い週末(金・土曜日)。金曜日の頭家祭・宵宮祭に始まり、土曜日には昼宮祭から御旅所祭、さらに日が変わって還御祭と続く。
クライマックスは土曜日の日没後。午後7時頃からの子供ダンジリの奉納に始まり、きらびやかな神輿が神社から海岸へ降りて行く"お下がり"がそれに続く。
海上には幟(のぼり)や提灯で飾った屋台を載せた船団が5組待ち受けている。漁船三隻が1組となり舫い合い、その上に屋台を組んでいる。神輿を載せる神輿船とダンジリを載せるダンジリ船が各1組で、残りの3組は獅子舞船だ。
神輿が近づくと船上からは古式ゆかしい鉦(かね)や太鼓の音が休みなく聞こえるようになる。浜では暴れダンジリが所狭しと走り回り、連れて観客も右往左往する。時にダンジリを立てて静止したり回転したりする。さらに眼前の海上から色とりどりの花火が立て続けに打ち上げられ、間近で展開されるその迫力に眺め入ってしまう。祭りの熱気も最高潮に達する。
花火も終わり午後10時頃になると、いよいよ船渡御だ。曳き船に曳かれ、約2km先の御旅所を目指して船団が動き始める。その速度は舟を櫓でこぎ進めるようなとてもゆっくりしたものだ。いくつもの提灯の明かりが、静かな入り海の水面に揺れる。鉦や太鼓の音が、夏の夜の熱気を含んだ風と共にその上を流れて行く。
時間をかけて御旅所前に接岸した船団からは神輿とダンジリ・獅子舞が順次上陸し、夏の夜の月明かりの下で乗船前と同様の祭事を行う。その後、海路を戻り、還御祭を執り行い、熱く長い夏の日が終わる。